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子どもの時分にテレビで時代劇を見ていると、親の世代が「(時代劇で)こんなことはありえない、当時はこんな台詞回しをしたり、所作や(チャンバラの)立ち回りをしなかった」とその設定などをまことしやかに否定する場面に幾度も立ち会った。その度に、そういうお前は江戸やその前の安土桃山、室町、南北朝、鎌倉、平安時代に生きていたのか、その時代を目の当たりにしたのか、見てきたような嘘をつくなといった思いが沸々としていた。彼らがいう時代劇の常識の多くが、実は片岡千恵蔵東千代之介中村錦之助市川雷蔵大川橋蔵の二スケ二ゾウが盛り立てた時代のチャンバラ映画から得られたものであることは、当時子どもだった自分にも伝わってきたし、それは間違っていないと思う。映画以外の大きな娯楽がなかったその時代、彼らにとってはそれがすべてだったんだと思う。新聞小説絵物語などの読み物や紙芝居、ラジオドラマなどのジャンルがあっても、ビジュアルとして時代劇映画に勝る影響を与えたものはなかったのだ。
昨年秋に公開されたアニメ映画「この世界の片隅に」は70年ほど前を舞台にしたもので、大政奉還以前の時代劇のそれと較べるとずっと最近の時代を描いたものだった。それでも、当時の街並などの景観や、その暮らし振りを伝える資料、語り継ぐひとびとの多くが高齢のため失われていて、その作品舞台をありありと描くことに大きな苦労があったという。しかし、その時代を描くには自分たちがそこに立ち会ったかのように感じなければならないと考えた片淵監督以下のスタッフは、そこに大きな手間をかけてあの作品をものにした。
俗に朝ドラといわれるNHKの朝の連続テレビ小説では、時代の大きな変化が描けることから戦前〜戦中〜戦後を舞台に選ぶことがとんでもなく多い。その時代を描けば必ず登場するのが戦中の空襲シーンで、防空頭巾を被り火の粉をかいくぐりながら防空壕に潜り込んだ主人公が肩を寄せ合って空爆の物音に怯えるってシチュエーションを幾度見せられたことか。
さてその空襲下の民家だが、その窓には爆弾によって割られるだろうガラスの飛散を防ぐために細く切った紙を「米」の字に貼ってあるのが朝ドラの常だった。ところが、片淵監督が当時のことを調べていくうちに、重爆弾が落とされるだろう軍事工場などを除けば、当時の木造民家に落とされるのは爆発しない焼夷弾であることが戦時にも知られていて、ガラスの飛散はないからと、そこには「米」の字はなかったと突き止めたのだという。朝ドラに主人公ヅラして登場した窓ガラスの「米」の字は、先般紹介した時代劇と同じ時代に描かれた戦争映画でビジュアルインパクト優先で盛り込まれたものだったのだ。現在のドラマのつくり手は、先人が残したビジュアルを手本にして、そうすればリアリティがあるだろうと安易に受けとってそれを再現していたのだ。「この世界の片隅に」では、伝単と呼ばれた米軍が上空から撒いた日本国民に降伏を促すビラを揉ん尻拭き紙に転用していた通り、物資の中でも紙類が特に不足していたことが描かれていて、そんな状況下ならば窓に貼る紙なぞ一片もなかったことだろう。
改変された常識に楔を打ち込んだ「この世界の片隅に」は、それだけでも意味がある作品だと思う。同じように、「この世界の片隅に」では当時の人々の暮らし振りや所作に至るまでが細やかに描かれていて、本来ならそういうことが不得意だろうと思えるアニメという表現手段をその枠を飛び越えて描いていたことに涙した。
ところが…
困った…
この世界の片隅に」と、加えて昨年度最高傑作といわれているフィギュアスケートモチーフのテレビアニメと同じ製作者による本年放映の時代劇テレビアニメが…
いや、あれはあかんやろ…
そもそも、時代劇云々とか抜いて、日本人としての所作ががが…
あかんやろ、あれを外国人の手に渡したら…
はい、悪い夢を見たと思って忘れましょう…